Mark House & Projects代表 マーク雅子
  • May12 ME/CFS & Lyme Japan    共同代表
  • Mark House Japan                               キリスト教ハウスチャーチ
  • Mark House Sydney                    オーストラリア シェアはうす

 


※現在(2022年9月)も、寝たり起きたりの生活で、日中の大半は頭を下げていて、移動時は車椅子ですが、慢性ライム病、脳脊髄液減少症、眼瞼痙攣の治療と週7本の点滴により動画撮影時より生活の質は向上しています。

神様が描く不思議な人生物語

 

私は、3歳から14歳までの鍵っ子生活、激しい父の気性、両親の離婚を経て、劣等感が強く、自尊心が低い子供でした。

 

その分、その劣等感をかき消すために、常に前へ!前へ!上へ!上へを目指していました。

 

アメリカ高校留学後、上智大学比較文化学部(現:国際学部)を卒業し、日本語講師として西オーストラリア大学に赴任しました。

 

その後、シドニーに移り、シドニー大学にて応用言語学修士号を取得し、最後の論文を提出した翌日に、銀行口座に残っていた最後の2ドルでチラシをコピーし、

 

24歳の時、言語学校La Lingua Language School(ラ・リングアランゲージスクール)を起業しました。

 

昼夜なく働く中、クリスマス休みで日本に一時帰国した際に、急に、高熱、倦怠感、意識混濁状態で倒れ、タクシーで救急病院に運ばれました。

 

これがのちに日本帰国前に出入りしていたオーストラリア牧場で感染したライム病と共感染症であったことは、この20年後に判明します。

 

(遠い記憶ですが、この時、不思議な円盤のような赤い皮膚症状が出たのを覚えていて、これが遊走性紅斑だったのだと思います。)

 

インフルエンザと診断され、念のためと言って、抗生剤が処方されたのですが、その日を境に人生が一変してしまいました。

 

体や頭を使う作業の後に急激に消耗したり、すぐに微熱や風邪症状を起こし、食事をするとお腹が妊婦のように大きく膨らみました。

 

脳に霧がかかったような朦朧とした状態で、決断力も低下し、瞼と首の硬直や痛みなどで、スタッフに隠れてデスクの下で寝転がっていることもありました。

 

 

 

この頃、1人の生徒から始まった学校も、4度の事業拡大で、オーストラリア政府認定の英語学校に成長し、生徒350名、スタッフ60名を抱え、エスニックビジネス賞の最優秀賞を授与するほどになっていました。

 

これからという時に、ついに、出社できない程の状態に陥り、代理社長を立てて、自宅療養しながら、遠隔で会社経営を行うようになっていきました。

 

 

 

身も心もボロボロになっていた頃、アメリカで15年間家族のために祈り続けていた姉が国際電話で祈ってくれた時に、神様が私の心を開かれました。

 

すぐに日本ホーリネス教団の牧師に出会いましたが、あまりの苦しみに「私は何のために生きているのでしょうか。」と尋ねました。

 

牧師は、優しく「神様に直接聞いてみて」と言われました。

 

そこから、聖書と祈りを通して、神様との会話が始まり、今もなお、その会話は途切れることがありません。

 

 

 

入院先から抜け出して洗礼を授かってすぐ、図らずも、オーストラリアのME/CFS研究班の医師に出会い、「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)」と診断されました。

 

機能性医学の見地から、リーキーガット症候群、副腎疲労症候群、機能性低血糖症、カンジタ菌、重金属蓄積の治療が始まり、

 

食事療法、高濃度ビタミンC点滴、マイヤーズカクテル、栄養療法などで、一時は会社に復帰できるほどにまで回復しました。

 

2010年、再発を機に、15年間育ててきた会社を売却し、日本にあるJTJ宣教神学校牧師志願科の通信コースに入学しました。

 

この頃から、全身不随意運動が躊躇になり、瞼が閉じて、手足や体幹がくるっと捻れて身動きが取れないような症状も出るようになりました。

 

 

 

その後、長年夢だった日本永住帰国を夫婦で祈ると、すぐに、国際政治学者の夫に日本の大学での仕事が与えられ、2012年、2頭の犬と共に日本に移住することが出来ました。

 

これを機に、日本においては、自宅を開放して病気や諸事情で普通の教会生活が送れない方や聖書が初めての方のためのハウスチャーチを土台に、

 

筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群の啓発運動を開始し、海外の情報配信や「闇からの声なき声」日本語字幕版の制作、啓発イベントなどを開始し、

 

シドニーにおいては、シェアハウスの運営を始めました。

 

 

 

2013年、瞼が閉じてきたことから、眼瞼痙攣診断、ボツリヌス注射が始まりました。

 

全身不随意運動(硬直発作)は、カタレプシー、発作性ジスキネジア、ジストニアなど様々な病名が疑われましたが、原因がわかりませんでした。

 

2014年、啓発運動のために撮影した動画を見た方から「脳脊髄液減少症ではないか」と指摘され、

 

検査をすると、脳脊髄液がだだ漏れしていることが判明。

 

ブラッドパッチを行うも、以前より頭が上げていられなくなったように思います。

 

 

 

2016年、父の介護のため、地元の東京に移住。

 

高齢だった父親と犬たちが立て続けに亡くなった後、2017年にオーストラリアに一時的に戻った時、

 

夫の実家の牧場近くの医師が私の慢性疲労と痛み、全身不随意運動を診て、

 

米国のIGenex社の「ライム病と共感染症」検査に回し、

 

これまで「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群」や「線維筋痛症」と診断されていたものが、

 

マダニ媒介感染症のライム病と共感染症だったことが判明しました。

 

 

 

現在は、慢性ライム病のための食事療法、ハーブ薬、栄養療法、

 

脳脊髄液減少症のために訪問看護による週3回生食水点滴、ブラッドパッチ1回、フィブリンパッチ1回、生食パッチ、

 

眼瞼痙攣(局所性ジストニア)のための2ヶ月に一度のボツリヌス注射を打っています。

 

 

病気になる前は、自分の劣等感をかき消すために、鉛のような重い心がいつか軽くなるようにと、上へ!上へ!と成功を求める生き方をしていましたが、

 

病気になったおかげで、「わたしはあなたを愛している。あなたは高価で尊い。」と、

 

ありのままの自分を愛してくださる神様に出会い、自分を愛することができるようになり、

 

過去の自分や罪責感、劣等感から解放され、永遠のいのちへの希望と自由を手に入れました。

 

目に見える現実に翻弄されるのではなく、永遠のいのちが与えられている感謝と喜び、

 

そして、「もう無理!」と思う時も、イエスキリストが一緒にいてくれて、どんなことも乗り越えられる力を与えてくださっています。

 

言葉にすると、簡単に聞こえますが、そこには大きな葛藤や絶望、悲嘆があります。

 

それでも、神様が必ずそこから抜け出せる脱出の道や慰め、驚くばかりの出会いや経験を与えてくださいます。

 

大きなことではなく、小さなことに忠実に、小さな幸せ、小さな喜びを実感し、

 

不幸の数ではなく、感謝と恵みの数を数えながら、

 

過去に縛られず、将来を心配せず、

 

互いに愛し合い、赦し合い、

 

神様と、愛する人たちと泣いたり、笑ったりしながら、今この瞬間を楽しんでいます。

 

私は、日々、「どんな境遇にあっても、満ち足りる」ことを学んでいます!

 

苦しいのは嫌なのですが(笑)今は、「この苦しみにあったのは、幸いでした。」と思える自分もいるのです。

 

 

 

天野友里子

 

May 12 ME/CFS&Lyme Japan共同代表

シナリ―スウィート代表取締役

 

マーク雅子の従妹で、20年ぶりに再会すると、、、化学物質や食品添加物による健康被害・香害、環境問題をテーマに市民教育を行っている人になっていた!という流れで、必然的に、共同代表に任命されました。

 

元テレビドラマ子役・モデルから結婚、出産を経て、子供のアレルギーがきっかけで、食の安全、化学物質などの害について学び始め、現在は、”環境革命をモットーに人が健康で安心して生活できる方法を提唱”をモットーに、セミナー講師・イベント活動ほか、パーソナルカラーアドバイザーとしての活動、化学物質を使用しない日用生活品、化粧品販売を行っています。

 

販売商品以外にも、既製品を工夫して、化学物質や食品添加物をいかに避けて生活するかの知恵の伝授、指導を行っています。

 

毎年行われていた「NPO筋痛性脳脊髄炎の会」署名運動にも、最初から積極的に関わり、顔を見れば、「署名?」「代筆の印鑑持ってきたよ。」と言われるようになったほど、個人では集められないほどの多数の署名を毎年集めてくれました。

 

患者の苦しみに耳を傾けてくれる応援団長(女番長?!)のような人物です。

 

 

くーちゃん              

May 12 ME/CFS&Lyme Japan共同代表

国際政治学者/大学教授

 

 マーク雅子の夫、親友、同志、そして、20年来の介助者。

 

幼い頃からの牧場での聴覚障害者の妹との生活と自然の脅威、そして、国際政治学者として日々、直面している世界情勢や現実の厳しさが、彼の介護者としての優しさと忍耐強さを育てたのかもしれません。

 

両親が妹の通院にかけまわる中、小さい頃から、1人で過ごす時間が多かった彼は、政治漫画に興味を持ち、学生時代から、アムネスティ・インターナショナルなどでのボランティア活動、国際政治系ラジオ番組などでの活動を経て、現在も、自称「政治オタク人生」を貫いています。

 

長年にわたる妻の病気に寄り添う中で、隠れて泣いている姿を何度も見かけましたが、一度も文句や愚痴を言ったことがありません。長い間、医療や福祉の手を借りられないあまりに過酷な現実の中で、2人で大声で子供の様に泣き叫ぶことも何度もありました。

 

でも、もしかしたら、彼自身に夢中になっていることがあるからこそ、20年以上になる病人との生活も少し距離と境界線をもって、耐えられているのかなと思います。

 

患者が助けてほしい部分やその時やりたくても、できない部分をよく聞いて、その部分だけ手を貸すようにする、、

 

後は、長時間の会話などでエネルギーを浪費させないように、静かにそっとしておく、、、

 

それが、くーちゃんが自然に身に着けた介護者の知恵なのかもしれません。

 

(マーク雅子著)